甲能法律事務所甲能法律事務所
検索
福岡市弁護士甲能ホームメディア評インデックスやってみなはれ みとんくんなはれ

メディア評インデックス

2007.09.09(日)

やってみなはれ みとんくんなはれ

山口瞳・開高健

現洋酒メーカーのサントリーの創始者である鳥居信治郎と二代目佐治敬三を軸に語るサントリーの社史である。そして、その語り手が同社宣伝部に在籍して芥川賞を受賞した開高健氏と、同じく開高健の跡を襲って宣伝部に在籍しこれも直木賞を受賞した山口瞳氏である。

文芸出版社でもない洋酒メーカーなのに、芥川賞作家と直木賞作家を輩出するということ自体、異例の会社である。その背景が本書を読めばある程度納得が行く。

創始者の鳥居信治郎は、「寿屋」(「サントリー」の前の商号)を興し、戦前「赤玉ポートワイン」で当てた。これは大ヒットで売れに売れ、以後「寿屋」の看板商品となる(そういえば、私が子供の頃の昭和30年代でも「赤玉ポートワイン」は売られていて子供ながら少し舐めさせて貰った記憶がある)。信治郎は大阪商人には間違いないのだが、儲けた後の態度が違う。「陰徳あれば陽報あり」を信じて、その儲けを惜しげもなく恵まれない人達に分け与えたのだそうである。貧乏な家庭の子弟に名前を明かさず援助し、その子弟の中から世界的な学者になった者も出た。そして、例えば

「終戦直後の大阪駅付近に餓死寸前の浮浪者があふれていた。信治郎としては、だまってみすごすことができない。

『あの人らにおかいさんの一杯でも食べさせたろやないか』

『なにいうたはりまんねん、大将。日本中、何十万人ちゅう腹空かしてるのんがおりまっせ。そんなことしはっても日本中の浮浪者、助けることになりまっかいな』

『そやけど、あの人ら死にかけや。だまって見てられまっかいな』

とうとう炊き出しが行なわれることなったばかりでなく、赤川と駒川に収容所ができることになった。信治郎のやり方はそんな風であった」

もう一つ秘話を

「サントリーという命名に関しては、さまざまな伝説が残っている。『鳥居さん』をひっくりかえしたものであるとか、子供が男ばかり三人であるとかいわれている。しかし、サントリーのサンは太陽であり、すなわち赤玉であり、赤玉の鳥居だからサントリーとするのが正しい。信治郎は、赤玉がよく売れたことに関して、世の中の人たちに感謝していた。この御恩を忘れてはいけないと言っていた。ウイスキーが出来たときもそれを考えた。赤玉ポートワインのおかげでウイスキーが出来たのである。それは世間の人たちのお陰であり、社会の御恩であった。日本に立派なウイスキーをつくることによって御恩を返したい。それがサントリー命名の由来である」

二代目佐治敬三がビール業界に切り込む辺りも面白いが、引用ばかりになってしまうので、本書を読んでいただくしかない。

昨今の金を儲けて何が悪いという風潮からすれば、大したものだと思う。

ちなみ、戦前が山口氏、戦後が開高氏という分担になっているが、両作家の筆致の違いも堪能できる。


山口瞳・開高健<br />新潮文庫
新潮文庫
476円+税