日記にも書いたが、今年2月、著者は46歳でお亡くなりになった。私は、著者のファンだったので、哀悼の意を込めて書評を書きたいと思っていたところ、私の事務所近くの書店で著書が並べてあり、最後の書に当たるものをまず買い求めた。それが本書である。
内容は、哲学エッセイ集というか哲学時事評論というか、小難しい哲学用語は使われてはいないものの、物事を本質から捉えようという著者の姿勢は一貫しており、常にシビアである。ただ、週刊誌に連載されたという性格からか筆致は固すぎず文章の流れに応じて日常会話的な用語も入れて(例えば「あなた」と書かずに「あぁた」と書くなど)、大変よみやすく且つわかりやすい。
終章は「墓碑銘」というもので、執筆年月日は書かれていないが、掲載年月日は3月15日号の週刊新潮のようだから、多分ほとんど死の直前まで書いておられて、これが絶筆になったのではないか。この絶筆の一文は、死を直前に控えた方の文章とは思われない。ガンの告知を受けておられたのか否かそれは存じ上げないが、告知を受けておられなかったとしても、多分薄々気付いておられた上での文章ではないかと思う。ユーモラスな味付けをしておられるので、著者がこの文章を最後に他界されたと思って読まない限り、この文章の含蓄は見過ごされるかもしれない。
いずれにしても大した思索家かつ文章家であられたと思う。確か昔の著者の書物の帯に「哲の女」(蛇足だがサッチャー元英首相が「鉄の女」と呼ばれたことにかけたもの)というキャッチコピーが書かれてあったと記憶する。
著者だから言えるのか同性だから言えるのか私にはわからないが、本書で感心した幾つかの箇所の中の一つを以下に引く。
紀子妃がご出産なさったことがまずめでたいとした上で、
「私は(紀子)妃殿下のあの妖しいほほえみに、何かこうプリミティブな底力のようなものを感じる。あのお方のお顔は、巫女のそれである。(中略)
これに対して、雅子妃の顔は、完全に近代人の顔である。個我の確立した、主張の明確な、そして公私の区別に敏感な、我々と同じ感性の顔である。」
紀子妃の妊娠・出産報道の中で、こういう比較の仕方は読んだことも聞いたこともないが、確かにハタと膝を打つ感じで感心してしまった。この前後の文章の考察も興味深いが、長くなるので、本書をお読み下さい。それが故人へのはなむけになると思いますから。