7月21日、弁護士17年目にして初めて最高裁判所の法廷に立った。事件は、飯塚事件といって、事件当時小学生だった女児2名が殺害された、という刑事事件である。被告人は逮捕当時から容疑を一貫して否認し無罪を主張し続けているのだが、福岡地裁・福岡高裁いずれも死刑判決が下されているもので、冤罪を主張する弁護団に最高裁の上告審段階から私も入れて貰った。
この事件の特徴は、いわゆる状況証拠しかなく、この状況証拠でどこまで犯罪事実を認定できるかが争われ、特に当時、開発途上にあったDNA鑑定の信憑性が問われているものである。
内容については、これ以上触れない。詳細を展開しだすと、とてもこの欄では足りないし、この事件の根本的な争点であるDNA鑑定については私自身が担当ではないし、そもそも私は上告審段階で参加したので、残念ながら弁護団の主張構築の役に殆ど立っていないからである。
多分、多くの弁護士がそうだと思うが、刑事であれ民事であれ最高裁まで持ち上がりの事件というのは多くは無い。大抵、地裁の一審で型がつくし、高裁まで行けば更に争い内容は淘汰されるし、そもそも最高裁への上告理由が刑事・民事いずれでも訴訟法上限定されているので、最高裁まで本格的に争われる事件というのは数が少なくて、弁護士として中々関われることはないのである。そして、最高裁の審理は法律審といって基本的に書面審理で、事実審である地裁・高裁と異なり、法律上上告に理由がない或いは上告を受理しないと最高裁が判断すれば、法廷を開かず何の予告もなしに上告棄却ないし上告不受理の文書を突然送りつけて来て「一件落着」となってしまうのである。先日、某自治体を訴えた国家賠償訴訟で、地裁は一部勝訴、高裁は逆転敗訴、という事件で上告しており、これはきっと高裁判決破棄の弁論が最高裁で開かれて呼び出しがあるだろうと期待していたら、突然上告不受理の決定書面が私の事務所に贈られて来てガッカリしたばかりだった。つまり、最高裁の法廷に立つということは、滅多にない経験なのである。
私が入ったのは第二小法廷というところで、やはり私が日頃立っている地裁・高裁の法廷とは随分と雰囲気が違った。正面に法檀、その下に書記官席、それに向かいあう形で弁護人席・検察官席、後方に傍聴席、という大まかな構図は地裁・高裁とはおなじだが、その法檀や椅子・机の造り・材質、更に法廷全体のデザインといったものは、さすがに荘厳、というかチャチなものではない。写真で見た通りである。
最高裁全体が御影石造りの、威厳を強調した建物で(建物自体が出来た当時の建物への批判的論調は覚えている)、地方から上京するとやはり構えてしまう。周りは厳重な警備が行われ、担当警備員の方々の物腰は「先生、々々」と丁寧だが、どこから来てどこに行こうとするのかチェックはおさおさ怠り無い。中国人強制連行強制労働事件の福岡高裁敗訴判決に抗議して、外務省への抗議行動、国会への要請行動というのに参加した際、どう見ても公安警察としか思えない車がバシャバシャ私達の写真を撮っていたが、そのときの気分を思い出した。確かに、裁判所は治安維持の機関であるのは間違いないので、雰囲気が共通するのは当たり前なのだろう。
いずれにしても得がたい経験をした。願いは、「原判決破棄、無罪」である。
ホークス王監督が、胃の腫瘍手術のために休養なさっている。お大事に、とファンの一人として思う。
実は、私も胃の摘出手術をして3分の1しか胃が残っていない。
どうして胃を切ることになったかというと、9年前の夜、大量の吐血をした。出血性胃潰瘍と診断されて、貧血にもなっているので入院治療することになった。そのときの胃の検査の過程で腫瘍が発見された。胃の腫瘍の進行度は、第1ステージから第4ステージの順に進行段階を区分するが、私は第1ステージとのことで、全摘手術まではせず3分の2を摘出するということだった。極めて初期だということだったが、もし吐血せずにいたら当時43歳でガン年齢としては若い方だったから、進行が早かった可能性は高く、吐血しなままでいて異変に気付いたときには最早手遅れ、ということになっていたかも知れない。血を吐いて良かった、と言えば言えなくもない。
当時は、酒は飲むは煙草は吸うは運動はしないはストレスは溜めるは、余り褒められた生活をしていた訳ではないので、自業自得である。特に煙草(ショートホープ)を1日40本以上吸っており、ヘビースモーカーというよりはチェーンスモーカーで引っ切り無しに煙草を吸っていた。流石に胃を切ってからは煙草を止めた。胃潰瘍の治療を経て胃の摘出手術を受ける治療までで約1ヶ月半ほど入院していたと記憶するが、病院内では吸えないので、禁煙にそれ程苦労はしなかった。それでも煙草を吸っている夢はよく見たが。
胃を切って最初の1年は3ヶ月に一度は胃の検査をする、その後は半年に一度、その後は1年に一度、という割合で検査していたが、おかげで9年間再発もなく今は健康である。
王監督も、無事手術が終わって、また健康体を取り戻されることをお祈りする。そして、また日本一を奪還して頂きたい。