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福岡市弁護士甲能ホーム日記インデックス2005.7.9(土):漫画家永島慎二さん死去

日記インデックス

2005.7.16(土)

「法の華」福永法源、実刑判決

東京地裁は、7月15日、福永法源に懲役12年の実刑判決を言い渡した。

福永法源が教祖となっていた宗教法人「法の華三法行」に対する民事の損害賠償請求訴訟について、私は福岡弁護団の一員として参加した。そして、福岡地裁では、各地裁に先駆けて損害賠償請求を満額認める判決が出た。この判決については、いずれ「弁護士甲能はどんな仕事をして来たか」というコーナーに判決文をアップする予定である。

その裁判では被害者の尋問も当然担当したが、弁護士として面白かったのは福永法源本人の尋問も一部担当したことである。福永は大柄な男で、平常出会えば確かにある種のカリスマ性があったかも知れないとは思ったが、証言台では寧ろ小心な男に見えた。私の尋問も一定程度福永のインチキ性を暴露するのに役立ったと思うが、弁護団全員が手を換え品を換え各方面から攻め込んで、中々面白い尋問風景だった。傍聴に来られていた被害者の方々も満足されたらしく評判は良かった。

実は、このとき被害者の方から預かった「仏舎利塔」などが未だ私の事務所に保管してある。中にお釈迦様の骨が入っている、として被害者の方が確か1000万円で買わされた品物である。金メッキの塔様のもので紫の布で包まれ桐の箱に入っている。この骨らしきものはどうやら動物の骨らしい。どちらにしても原価にして数千円の代物だろう。

本来は「燃えないゴミ」にでも出すしかないのだが、完全勝訴の勲章という思い入れの様なものを感じて、何故か捨てられないでいる。


2005.7.9(土)

漫画家永島慎二さん死去

7月6日、永島慎二さんがお亡くなりになった。

この漫画家‐劇画家をご存知の方は、そう多くはないだろうと想像する。梶原一騎先生原作の「柔道一直線」の作画を担当された方だといっても、それでも未だ知る人は少ないというか少なくなって来ているに違いない(「柔道一直線」は実写でテレビ化され、そのときの主人公が桜木健一さんで、敵役が近藤正臣さんである。)

私が、永島慎二という名前を初めて知ったのは「COM」というマニアックなマンガ雑誌の連載を通じてだった。当時(昭和45年‐1970年前後)の連載マンガ名は「フーテン」といって、1970年前後に新宿にたむろしていた働かない連中(今で言う「ニート」や「引きこもり」に近いが、働かなくて何が悪いと「突っ張っていた点」では今と大分違うように思う)が登場人物の大半である。ちなみに「フーテン」とは日本語で、まぁ「浮浪者」に近い語義だと思って大きな間違いはない。

この永島慎二という方が「漫画家残酷物語」という名作の作者だとは当時まったく知らなかった。ただ「フーテン」の作中交わされる会話の高尚さ(読む人によってはペダンチックで鼻持ちならなかっただろう)、例えば曰く「もうゴダールは見たくないね。ヌーベルバーグってのは…」曰く「後期印象派が駄目になった理由ってのはねぇ…」等という会話は、田舎者の中学生(つまり私)には全く理解できないもので、しかし、だからこそ私は猛烈に憧れたものだった。

そういう私にも唯一理解できた場面があった。フーテン仲間が交通事故に遭い亡くなるのだが、その死亡者が大金持ちのお坊ちゃんだったらしく、死亡者の残した「詩」には、「俺は一杯の飯が食えなかったことがない。しかし、この世には一杯の飯が食えずに死んでいった者がいる。だから俺はいつもひもじいのだ」という趣旨のことが記されてあった、というエピソードが漫画(劇画)で描かれる。食えないひもじさという当たり前のことが、人によっては自分しか食えないことがひもじさに通じることがあるのだと、妙に胸打たれた。確か中学1年生か2年生頃だったと思う。

ご冥福をお祈りする。