私の持っている自動車免許は、いわゆるゴールド免許、すなわち無事故・無違反の運転者にしか与えられず、免許更新時の講習時間が大幅に短縮される特典付きのものである。
すごいだろ、と威張るつもりはない、というより威張るのは無理である。単なるペーパードライバーだから。もう20年はハンドルを握っていないと思う。身分証明書として免許証が便利だから更新しているだけで、自動車免許が必要だからではない。
自動車教習所に通っていたとき、僅かな貯金があったのでその貯金を「免許を取ったらクレジットで車を買う頭金にしよう」と考えていたら、仮免後の補習授業が繰り返されるものだから補習受講料の支払いへ、頭金の筈だった貯金が次から次へと消えてしまった。結局、免許を取っても頭金の筈の貯金が残ってなくて、自分名義の車が買えなかったという恥ずかしい経験がある。
教習所の教官は、口が悪いのが相場だとしても(というか職責上甘い教官として免許を乱発する訳には行かないのだろう)、彼は「お前にこのまま免許を渡したらアブナイ」と私に面と向かって明言した。実は自分でも、そう思う。十分な準備をして対策を練って対応するなら別であるが、突発的な予想外の事態に出くわしたとき、ブレーキを踏む、右にハンドルを切る、左にハンドルを切る、とにかく咄嗟に判断しなきゃいけないという場面で、私はパニックになるタイプ。本当に困る、咄嗟の身体能力が鈍いから(これを告白するのは悲しい、でも私のせいで事故死する人がいない方が絶対に罪がないもんね。)
更に、自分の車が買えなかったものだから、姉が滅多に使わず庭に停めている乗用車を借り出して免許祝勝運転に臨んだ。ところが滅多に運転しない車だったので、県道のド真ん中でバッテリーが上ってしまって動かなくなり、私の車の後ろには長蛇の列ができて引っ切り無しのクラクション・ブーイングが嵐の様に私を巻き込んだ。偶々すぐ近くの自動車販売所の社員が車を人力で押してくれて何とか解放されたが、これは私の重いトラウマになってしまった。以来ハンドルは握っていない。
でも、とにかく私は反射神経鈍い!運動神経鈍い!と、わかっているのに公安委員会は免許をくれた。
けど、危ない人間に銃の保持を許可した結果、乱射殺人事件が先日起きて、その許可の甘さが批判されているが、「走る凶器」には同じ様に「お前はアブナイから車の免許は与えない」という規制は考えられないのかしら。「お前は飲酒運転しそうだから不許可」という方が、飲酒運転の事故後に重罰を科すより良い筈だと思う。重罰を課したから命が戻って来るかというのだ。
あちこちから石が飛んでくるのを覚悟で言うが、車は自家用車禁止・業務用のみ許可、その自動車免許許可も下戸の人のみ認める、とすべきである。そうすれば、当然事故も減り二酸化炭素も減り、私用で移動する人は公共交通機関か徒歩や自転車の利用ということで、ダイエットもでき健康にも良くてメタボリックなんか心配しなくてよくなり国の医療費節減にもなる。後期高齢者医療(このネーミングはホント凄いね、後は死ぬのを待つ人生しか残ってない年寄りのための医療という意味だから)なんかで、老人を苛める必要もなくなる。
資本主義の主要産業(主柱産業といってもよいかもしれない)である自動車産業を考えれば、自家用車禁止、下戸以外自動車免許不許可なんて、ま、あり得ない話だわな。誰も言い出さないし、誰も相手にしてくれないのはわかっているが。あんまり言うと事前規制・予防検束に手を貸すのかと非難されるかも知れない。それはそれで、反対なのだが。