私自身はこの時期だからといって特別に買い物をする訳ではないものの、歳末の商店街が好きである。
今日はそうでもないが、普通もちろん歳末は寒いので、コートやマフラーで身を固めた市民がクリスマスや正月の飾り付けをした商店街を足早に歩き過ぎる。のんびりウィンドウショッピングする姿は余り見かけない。そして、商店街はひっきりなしにクリスマスソングを流す。「ジングルベル」「赤鼻のトナカイ」「サンタが街にやって来る」「ホワイトクリスマス」など等、キリスト教徒でもない癖にと散々言われながらも子供の頃からの習性で何かクリスマスソングは浮き立つ。そして、遠くでは呼び込みの声の他に時々歳末大売出しの福引のカラカラという音が聞こえ、偶に「大当たりぃ!」の大きな放送が聞こえたりする。こちらは和風の伝統である。
そういう風景の中で、今年もそろそろ終わりだという思いともうすぐ新しい年が来るという思いとが交錯する。私は誕生日が本日12月11日で、その年が終わる月と私自身が年を取る月とが重なるので、特にその様な感慨を育ててきたのかもしれない。
12月が好きなのは、もちろん一つには私の誕生日があるからだが、もうすぐクリスマスだ、もうすぐ冬休みだ、もうすぐお正月だという子供の頃の期待感に満ちた生活が染み付いてしまっているのだろう。大人になっても、やはり期待感が大きい。
ところが一つだけ今年(というか来年早々)は少々辛いことがある。1月3日が当番弁護士なので、朝から一日、その日に逮捕・勾留された被疑者から呼ばれたときのために待機しておかなければならない。勿論お呼びがかかればどこかの警察署に出動しなければならない。正月三ヶ日くらいは休みたいが今年は当番が回って来たので、朝からお屠蘇なんぞを飲んでいる訳には行かないことになった。
どうぞ福岡市民の皆さん、少なくとも1月3日は私の当番弁護士の出動がないように、お酒は飲んでも良いが羽目を外し過ぎないよう、お行儀良くしていて下さい。
10月から福岡簡易裁判所で週一日、民事調停官という仕事をしている。
非常勤裁判官と呼ばれたりするが、一般の裁判官と異なって、尋問をしたり判決を書いたりはせず調停手続を主催する形である。
裁判所の行なう調停は大きく分けて民事調停と家事調停の二種類だが、私の担当は民事調停である。その中で更に一般調停・特定調停とあるうちの一般調停の方。
で「調停」とは何かというと、日常的な日本語として広辞苑によると「当事者双方の間に第三者が介入して争いをやめさせること。仲裁。」とある。法律上の調停は、似てはいるが若干異なる。民事調停法1条は「この法律は、民事に関する紛争につき、当事者の互譲により、条理にかない実情に即した解決を図ることを目的とする。」と規定している。つまり、(1)民事の紛争であること、(2)当事者の互譲による解決であること、(3)条理にかない実情に即した解決であること、ということを目的とする手続である。だから、(1)家事や刑事の紛争は含まないし、(2)当事者が譲ろうが譲るまいが法律だけに従って黒白をつける一刀両断の解決ではないし、(3)事態が収まるからといって不合理・不平等な内容でも良いという訳ではなく少なくとも条理と実情に沿った解決でなければならないのである。
この手続では、紛争の一方当事者が「紛争を解決して欲しい」という趣旨の申立(例えば交通事故の損害賠償として50万円払って解決して欲しい)を簡易裁判所に行い、相手方がこの解決の申立に応じ、簡易裁判所裁判官(又は民事調停官)・民事調停委員とで構成される調停委員会が間に入って、条理に適った解決を目指す。手続の基本は双方の互譲を引き出すための話し合いで、訴訟(裁判)と異なり証拠調べを実施したり事実認定はしない。どちらが真実を主張しているかには基本的に立ち入らない。そして、双方の互譲がなって調停が成立すると、簡易裁判所という国家機関が関与して成立した内容であるから、法的な強制力が与えられている。例えば、相手方が申立人に何時までに幾らの金銭を支払うという内容の調停が成立したのに、それが支払われない場合は申立人は強制執行が出来て、相手方の財産を差し押さえて競売し約束の金額を受け取ることが出来る。しかし、互譲がならず双方の意向が平行線の場合は調停不調ということで、手続としては打ち切らざるを得ない。それでもなお解決を求めたい場合は、訴訟(裁判)を改めて起こすことになる。しかし、裁判所に納める手数料は、調停不調確定後2週間内の提訴であれば当初の調停申立費用を流用することが出来、訴訟の提起自体に対しては追加費用を支払えば良いことになっている。
結構、使い勝手の良い手続だと私は思う。ただ未だ調停官の仕事を始めて2ヶ月なので大したことは言えないが、追々守秘義務に触れない限度で、民事調停手続について日記に書いて行きたいと思っている。