筑紫哲也氏がお亡くなりになった。
ジャーナリストであられたので、各所各界に接点があられたと思うが、私にも僅かだが接点があったので、過去の書評を引用して、その点を明らかにする。
2005.12.29(木)
「旅の途中」筑紫哲也
「本書は謹呈本である。以下の事情による。
著者は大分県日田市のご出身で、同市とその近辺のボランティア住民が運営する市民大学「自由の森大学」の学長でいらっしゃる。私も同じ出身なので、一応この市民大学の顧問弁護士ということになっている(但しボランティアなので無給)。著者とは1、2度、会の打ち上げ等で同席させていただいた記憶があるが、双方酔っ払っていて、著者ご自身は私のことは覚えておられない筈である。この「自由の森大学」が平成18年3月をもって、12年の歴史を閉じることとなった。それに併せてという訳でもないのだろうが、最近出版された本書が関係者に謹呈されたという次第である。」
その後、体調が良くないとは伺っていたが、肺がんとは正式には知らなかった。煙草はお好きだったようだ。しかし、好きなことをして72歳まで生きれば、まぁ本望と言えるのではないか。何度か拝聴した講演の際に、時々おっしゃっていたのが、幾つの人生を生きられるかでその人生の幸福度が決まるという意味のことだったと思う。ジャーナリストであれば多種多様な人生と触れ合える、その意味ではご自分は幸せだと仰りたかったのだろう。弁護士もその意味では多様な人生と触れ合えるが、楽しかったり面白おかしかったりする事件が裁判になることはないので、そういうのも記事にできるジャーナリストは随分違う気がする。当事者として勝訴の喜びを共有することもあるが。
いずれにしてもご納得の行かれる人生を全うされたのだと思う。ご冥福を心からお祈りする。