J・D・サリンジャー氏が1月27日に老衰で亡くなったそうである(朝日夕刊)。
サリンジャー氏の有名な「ライ麦畑でつかまえて」(野崎孝訳)を、高校の頃読んでブッとんだ。
読んだきっかけは、これも高校の頃読んだ庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が「ライ麦…」の影響を受けているというから読んでみたくなったのである。しかし、正直なところ「ライ麦…」の方が衝撃が大きかった。テーマが違うから同列に論じる訳には行かないが、大人社会や大人ぶろうとする同級生に対する批判・不快の念は、少年期に固有のものでしかも普遍性があるから、ここまで読み継がれて来たのだろう。
大学に入ってからもサリンジャー氏の短編集などを読み漁り、伝記の「サリンジャー氏をつかまえて」という本も読んだりしていたが、その特徴は私から見ると、「無垢礼讃」という点にあるように思われ共感を呼ぶものだった。無垢で無邪気な生を、才気煥発の表現で取り上げるという点に一番の特徴があったのではないかというのが私の印象である。
作家ご自身はマスコミ嫌いで通し、上記の「サリンジャーをつかまえて」の伝記については差し止めの裁判まで起こしたそうである。作家と作品は厳密に区別されるべきであるという姿勢であるらしかった。
作品数は増えなかったので、新作を読むという楽しみはなかったが、それでも印象の長く残っている作家である。尤も書評でも取り上げたように、村上春樹氏の新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はあるが、野崎訳で最初に読んだ衝撃が大きすぎて村上訳には余り感心しなかった。
一人の作家の死が世界的ニュースになるというのは、その価値を十分示すだろう。