「芝浜」という古典落語の名作がある。人情噺である。
この噺を、先年亡くなった柳家小さん師匠(何代目になるのかしら)が演じたものと立川談志師匠の演じたものとを聴いたことがあり、同じ噺でも演者によってこうも印象が違うものかと感心したことがある。
荒筋は虚覚えで書くのだが…、
怠け者の魚屋が、偶然大金の入った財布を拾う。喜んだ魚屋はその金を当てにして仲間を集めて盛大な宴会を開き、酔い潰れて寝てしまう。目が覚めて宴会費用を払おうと上さんに言うと、「ナニ寝ぼけたこと言ってんだい、財布なんかありゃしないよ、夢でも見たんだろ」と言われて驚く。そして、その宴会費用を払うために心を入れ替えて仕事に精出し、その結果、財をなす。そうして、ある夜、魚屋が財布を拾った「夢」のことを茶飲み話で上さんに語る。ところが上さんが「実はあれは夢じゃなかったんだ」と切り出し、「あのまま財布をお前さんに渡すと、お前さんは罪人になっちゃうし飲んだくれの怠け者になっちまうと思って、夢だということにしちゃったんだ。許しとくれよ」と告白し、魚屋は一旦は怒るが、上さんの考えを理解して感謝する。
という噺である。
そして、この噺の面白さは前半の怠け者の魚屋の宴会までに見せる演者の芸も勿論あるのだが、白眉は当然、後半の上さんの告白である。
ここからがそれまでの小さん師匠と談志師匠の芸風の違いだけでなく、人物造形が断然違ってくるのである。
小さん師匠の演ずる上さんは、言わば賢夫人で賢明にも「このまま財布を渡しちゃ旦那が駄目になっちまう」と考えて財布を隠すが、しかし愛する旦那に嘘をついていたことにも耐え切れずに、とうとう告白する、という上さんの造形である。これはこれで泣かせる。
ところが、談志師匠の演ずる上さんは賢夫人ではなくて、ただ、どうして良いかわからなくて、でも、このまま財布を渡せば旦那が駄目になっちまうということだけは頭の悪い私にもわかって、だからいっそ無かったことにしちまおう、でも、お前さんに嘘をついているのに耐えられなくて、許しとくれよ打っとくれよ、と殆ど泣き喚く。その姿で旦那への愛情が切々と伝わって来る。つまり、上さんは普通の、しかし旦那を愛する馬鹿な女という造形なのである。こっちの上さんも十分泣かせる。
この様な対照的な人物の造形を聴くと、演者の芸風ということもあるが、演者の人間観というところまで考えてしまう。やはり一流の芸人は違う。